マンドリンの美しい音色は時に哀愁を帯び、時に躍動し、私たちの心の奥深くを揺さぶる。
その起源は遥かメソポタミアの時代まで遡るといいうから驚きである。日本では1901(明治34)年に東京音楽学校講師の比留間賢八氏がヨーロッパから持ち帰り、普及させたのが始まりとされる。マンドリンは瞬く間に日本人の心をつかんだが、大正時代に入り、それを次の舞台に押し上げたのが作曲家の古賀政男氏である。この古賀氏と数名の学生で1923(大正12)年に創部されたのが明治大学マンドリン倶楽部である。この辺りは有賀敏文さんの「マンドリン物語」(早稲田出版)に詳しい。
明治大学マンドリン倶楽部の秋田演奏会が9月2日、ミルハス大ホールで開催された。演奏会では、古賀氏の代表曲で、同倶楽部で連綿と受け継がれてきた「影を慕いて」「丘を越えて」「悲しい酒」などの演奏のほか、「パリの空の下」「ゴッドファーザー」といった映画音楽や1970年代のフォークソングメドレーも披露された。
同倶楽部は昨年、創部100周年を迎えたが、新型コロナウイルスの影響により、練習や演奏会まであらゆる活動が制限されたという。秋田演奏会はそうした苦しい時期を乗り越えた喜びを前面に押し出し、観客に明日への希望、勇気を届けたいとする学生たちの思いがひしひしと伝わってくる迫力のあるパフォーマンスであった。
アンコールの最後にはサプライズで「秋田県民歌」が披露された。司会の学生から「最後の曲は『秋田県民歌』です」と紹介されると、会場からは「ウオー」という何とも言えぬ歓声が上がったほど。秋田公演だけのために学生たちが準備してくれたのだろう。その心意気に感謝したい。
マンドリンが奏でる県民歌は独特の雰囲気を持ち、観客の心にしみ込んだ。観客席からも自然と歌が沸き上がり、舞台と客席が一体となった時間であった。個人的なことであるが、最近県民歌を聞くとどうも胸がいっぱいになる。年齢を重ねたせいもあるだろうが、この壮大なメロディーと歌詞が秋田県人としてのDNAを呼び起こす偉大な力を持っているとの思いを禁じ得ない。