ちょっとしたことで、“あの日、あの時”が一瞬にしてよみがえることがある。
10月8日に中ホールで開かれた劇団文化座80周年公演「しゃぼん玉」の一場面。主人公の若者が過去に犯した罪を償うため居候先を離れるときのことである。世話を焼いていたおばあさんが「これを持っていけ」と手渡したのが大きなおにぎりだった。若者は思わず「でっけー」と叫んだ。
この瞬間、学生時代に長期休みを終え、秋田から大学に戻る際の実家の風景がまざまざと浮かんだ。母親から渡されるのはいつも6個のおにぎりだった。中身はぼたっこ、まさに特大サイズだった。おにぎりをほんの少しだけ焼いているのが母親流だった。ドスンと重さが感じられるおにぎりだった。
6個という数には母親なりの思いが込められていた。2個は汽車の中で、次の2個はその日の晩御飯に、そして最後の2個は翌日の朝食に。汽車の中では、おにぎりの大きさに、隣席の人から驚かれることもあり、何だか気恥ずかしい思いをしたこともあった。それでも「もういらない」と思ったことはなかった。
その母親もいまはもういない。大きくて、しょっぱくて。何ら贅沢なものでもなかったが、それでももう一度食べたいと思う。だがそれももうかなわない。
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文化座のステージは素晴らしいものだった。若者が逃れ逃れてたどり着いた地方の人たちの温かい気持ちに触れる中で、再生していく姿を描いた。限られた空間の中で演じられる世界ではあったが、無限の広さを感じさせられた舞台であった。まさにこれこそが演劇の魅力であろう。